#
by mille1007
| 2011-05-29 22:48
| ハーバルライフ
退院してから全く更新もできず失礼しておりました。
多くの方にご心配を頂き 本当に恐縮です。
退院後 在宅医療の先生や訪問看護師さん、ヘルパーさんなどの手配をして環境を整えておりました。
たくさんの方々に助けて頂きながら何とか生活ができる状態でした。
そんな中で体調は・・・というと 順調に回復し、ということは残念ながらなく、ガンは容赦なく進行しそれにともなって様々な症状がでてきます。
吐き気をともなう気持ち悪さだったり 浮腫みだったり 息苦しさだったり・・・・
先日から気持ち悪さが続き 何も食べられない状態が続いておりました。
また 悪寒があって寒くて寒くて仕方がなかったり。
吐き気止めの処方で今日はやっと少し口にすることができました。
体力が落ちてくると何をするのもしんどくて 今までできていたこともだんだんとできなくなってきました。
私はできるだけ在宅で過ごしたいと考えていたのですが やはりそれも限界があるみたい。
体がしんどい今 緩和ケア病棟にお世話になって十分休養するのもひとつの方法かと思い そのようにしようと思っています。
運よく月曜日から入院できそうです。
しばらくお世話になって元気になったらまたおうちに帰ろうと思っています。
多くの方々にご心配を頂き メッセージを頂き感謝です。
にほんブログ村
にほんブログ村
#
by mille1007
| 2011-05-27 16:09
| ハーバルライフ
ゴールデンウイークのせいか入院患者は少なく何となく静かな病院です。乳腺の病棟の4人部屋に3人で入っていましたが 術後 ドレーンがとれてお二人は順番に退院なさいました。術前化学療法のときからの顔見知りだったようで 会話がはずんでました。一人は60代独身 もう一人は50代で子供は反抗期 ご主人ともあまりうまくいってない様子の方でした。二人の会話を聞くでもなく子守歌がわりにうとうと耳に入ってきます。お友達に話してないらしく お見舞い客はいらっしゃっいません。手術と退院の日にそれぞれご兄弟とご主人がいらしただけでした。
それに比べて私のところには毎日お友達がたくさんいらして下さって 連休中ということもあって家族も頻繁にきてくれていました。窓辺は綺麗なお花でいっぱいになり 華やかでした。60代の方が退院する前の夜 初めてゆっくりおしゃべりができました。私はスッゴいキャリアウーマンで部下たちがお見舞いにきているのかしら?〜と思っていたようです。私はフツーの専業主婦でいらして下さっているのは皆 お友達、そしてその大半が乳がんを経験しているお友達であると話したら大変 驚いていらっしゃっいました。
病気になってから 日本中にたくさんの素敵なお友達ができたこと、趣味などを通して生活が豊かになったこと、家族ぐるみで旅行に行くなど楽しみが増えたことなどをお話ししました。60代の方はネットはできないけど 自分も積極的に患者会などに参加してみてお友達を作る努力をしてみるわ とおっしゃってくださいました。
たくさんの患者会やイベントがありますがそこに一回 行きさえすれば 気のあったお友達ができるか と言われれば やはりそれは難しいですよね。そう考えると 私はこんなにもたくさんの良いお友達に恵まれなんと幸せなことかと思います。
皆様との出会いとたくさんの愛に心から感謝です!
それに比べて私のところには毎日お友達がたくさんいらして下さって 連休中ということもあって家族も頻繁にきてくれていました。窓辺は綺麗なお花でいっぱいになり 華やかでした。60代の方が退院する前の夜 初めてゆっくりおしゃべりができました。私はスッゴいキャリアウーマンで部下たちがお見舞いにきているのかしら?〜と思っていたようです。私はフツーの専業主婦でいらして下さっているのは皆 お友達、そしてその大半が乳がんを経験しているお友達であると話したら大変 驚いていらっしゃっいました。
病気になってから 日本中にたくさんの素敵なお友達ができたこと、趣味などを通して生活が豊かになったこと、家族ぐるみで旅行に行くなど楽しみが増えたことなどをお話ししました。60代の方はネットはできないけど 自分も積極的に患者会などに参加してみてお友達を作る努力をしてみるわ とおっしゃってくださいました。
たくさんの患者会やイベントがありますがそこに一回 行きさえすれば 気のあったお友達ができるか と言われれば やはりそれは難しいですよね。そう考えると 私はこんなにもたくさんの良いお友達に恵まれなんと幸せなことかと思います。
皆様との出会いとたくさんの愛に心から感謝です!
#
by mille1007
| 2011-05-08 11:16
結局 手術が始まったのは夕方でした。局部麻酔なので声が聞こえます。若い耳鼻科の先生たちのせいか手こずって時間ばかりかかります。ベテランの先生呼んできて早いとこ やってよ!!と言いたいところでした。後から聞いた話しでは首に放射線をかけたところだったので癒着がひどく手こずったそうです。気管に穴をあけ カニューレという器具をとりつけました。鼻呼吸ではなく 気管の穴から直接呼吸をすることになりました。声を出すこともできず 香りを感じることもできない! なんということでしょう。その晩チコママとキャロちゃんが駆け付けてくださり キャロちゃんから器具を変えれば声も出るし 香りも嗅ぐことができるからと励まして頂きました。
それから1週間は筆談の日々。お食事はゆっくりですが普通に頂けます。ネブライザーで加湿をしてタンを吸引するという作業を一日 数回行います。また 退院してからも自分でできるように練習しなくてはなりません。緊急時にそなえて 家族もできるよう練習します。機械や備品のメンテナンスの方法も教わりました。いや〜 生きて行くために面倒な作業が増えてしまいました。
1週間してしゃべれる器具に交換しました。声はなんとか出るのですがその分息苦しさがあります。ふたの部分をとれば声はでませんが息は楽になります。様子を見ながら慣れていくしかありませんね。
来週月曜日退院の予定です。もし軽井沢に行っていたら危なかったと言われました。また連休中に何かあっても耳鼻科の医師が休みなので迅速な対応はとれなかったであろう とも言われました。ラッキーだったということなのでしょう。
ご心配おかけしている皆様に近況報告をさせていだだきました。
それから1週間は筆談の日々。お食事はゆっくりですが普通に頂けます。ネブライザーで加湿をしてタンを吸引するという作業を一日 数回行います。また 退院してからも自分でできるように練習しなくてはなりません。緊急時にそなえて 家族もできるよう練習します。機械や備品のメンテナンスの方法も教わりました。いや〜 生きて行くために面倒な作業が増えてしまいました。
1週間してしゃべれる器具に交換しました。声はなんとか出るのですがその分息苦しさがあります。ふたの部分をとれば声はでませんが息は楽になります。様子を見ながら慣れていくしかありませんね。
来週月曜日退院の予定です。もし軽井沢に行っていたら危なかったと言われました。また連休中に何かあっても耳鼻科の医師が休みなので迅速な対応はとれなかったであろう とも言われました。ラッキーだったということなのでしょう。
ご心配おかけしている皆様に近況報告をさせていだだきました。
#
by mille1007
| 2011-05-05 17:53
更新もなくまた猫目さんのブログをご覧になってご心配頂いたりもしておりますので 病院より慣れない携帯によるアップを致します。
4月22日 Ruban Roseの仲間たちとアロマテラピーの講習会の打ち合わせとハーブティー詰めを楽しくやっておりました。皆様私にお気遣いくださり お昼寝タイム付きでゆったりペースの作業でした。声もでるようになったし講習の一部が担当できるかもね などとお話しするぐらい元気だったのです。
連休には軽井沢へ行く予定もしてました。
翌日の朝 声がまた出にくくなっていました。突然どうして?とも思いましたが 在宅医療の先生の往診でも しばらく様子を見てくださいとのことでしたのでさほど気にせずにおりました。
翌日曜日はイースター、久しぶりに教会に行くことを楽しみにしてましたがやはり声がでないので大事をとって家にいました。
25日月曜日は病院の日。主人に休みをとってもらい一緒にいきました。
乳腺の先生は片側の声帯に麻痺があることはわかっているし声がでないといってもそこそこでているし問題はないと思うので 軽井沢楽しんできてね とおっしゃってくださいました。
次に放射線科に行きましたら 一応耳鼻科に診てもらったほうがよい とすぐに耳鼻科に連絡をとってくださいました。耳鼻科で診てもらうと両側の声帯が麻痺し わずかな気道のスペースしか空いておらずいつ窒息しても不思議ではない非常に危険な状態であると言われてしまいました。その場で緊急入院が決まり車椅子で病室に運ばれました。手術室が空いたら気管切開の手術をするというのです。あまりの急なことの成り行きに面食らうばかりでした。
4月22日 Ruban Roseの仲間たちとアロマテラピーの講習会の打ち合わせとハーブティー詰めを楽しくやっておりました。皆様私にお気遣いくださり お昼寝タイム付きでゆったりペースの作業でした。声もでるようになったし講習の一部が担当できるかもね などとお話しするぐらい元気だったのです。
連休には軽井沢へ行く予定もしてました。
翌日の朝 声がまた出にくくなっていました。突然どうして?とも思いましたが 在宅医療の先生の往診でも しばらく様子を見てくださいとのことでしたのでさほど気にせずにおりました。
翌日曜日はイースター、久しぶりに教会に行くことを楽しみにしてましたがやはり声がでないので大事をとって家にいました。
25日月曜日は病院の日。主人に休みをとってもらい一緒にいきました。
乳腺の先生は片側の声帯に麻痺があることはわかっているし声がでないといってもそこそこでているし問題はないと思うので 軽井沢楽しんできてね とおっしゃってくださいました。
次に放射線科に行きましたら 一応耳鼻科に診てもらったほうがよい とすぐに耳鼻科に連絡をとってくださいました。耳鼻科で診てもらうと両側の声帯が麻痺し わずかな気道のスペースしか空いておらずいつ窒息しても不思議ではない非常に危険な状態であると言われてしまいました。その場で緊急入院が決まり車椅子で病室に運ばれました。手術室が空いたら気管切開の手術をするというのです。あまりの急なことの成り行きに面食らうばかりでした。
#
by mille1007
| 2011-05-05 17:05